称名寺へようこそ

富山県小矢部市 真宗大谷派 称名寺のブログ

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釜山の“星の王子さま”

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近頃は爽やかな日が続いていますね。
風が緑の間を吹き抜けると、葉っぱのざわめく音が心地よく、木洩れ日も美しく形を変え見飽きることがありません。


さて、前回、前々回と慶州のお話をしました。今回は慶州行きの拠点にした釜山で聞いたお話です。


慶州旅行では釜山から日帰りツアーを頼みました。ガイドの方が仏教に詳しく、釜山から車で2時間ほどの間に韓国の仏教の歴史について分かりやすく説明してもらえました。他にも韓国の住宅事情、経済、地理、人々はどんなことに関心があるのかなど、興味深い話がたくさんありました。「釜山の観光はしましたか?」と聞かれ、滞在日数の短いことを告げ慶州に行くだけでいっぱいということが分かると、またいつか来たときのためにと名所をいくつか教えてくれました。その中に釜山の“星の王子さま”のお話がありました。


港町の釜山は小さな山々に囲まれて、坂に沿って住宅がひしめき合っています。その家々も、今は湾岸の高層マンションが人気のため空き家が多く、地域に活気を取り戻そうと町並みにアートをちりばめた甘川文化村という地区があるそうです。そちらに“星の王子さま”のエピソードが残っているとのことなのですが、“星の王子さま”と言えば、やはりフランスの作家サン=テグジュペリの書いた物語『星の王子さま』を思い出しますよね。釜山の“星の王子さま”とはどういうことなのかと、ガイドの方の話に耳を傾けました。


今から70年前、朝鮮半島は南北に別れて戦争をしていました。戦況が激しさを増し、追い詰められるように逃れてきた人々が、朝鮮半島最南端の釜山に暮らすようになりました。仕事がなく、食べるものにも困る日々の中、住宅のある山の斜面から港にアメリカの船が入ってくるのが見えると、お父さんたちは仕事を求めて急いで港へ向かいました。船で働くと帰りには袋いっぱいの小麦粉などを貰えたそうですが、それを抱えて家へ向かう坂道を上がっていくと空腹のため目の前が暗くなり星がチカチカしたことから、家族のために頑張って働く人たちのことを“星の王子さま”と呼んだのでした。


その話を聞いて、家族のために働く父や年上の兄たちを誇らしく大切に思っていたことが伝わってきました。いつの時代も、苦労の多い生活の中にあっても、家族のために子どもためにと働いた人々がいて今の暮らしがあるということに国境はないですね。国や民族が違っても、そこにはそれぞれに大切にしている暮らしの営みがあることに変わりはないのでしょう。


20世紀は世界中を巻き込むような争いの絶えなかった時代でしたが、これから私たちはどのような世界を開いていけるのでしょうか。どのような未来を創っていくことになるのでしょうか。
もし今、お釈迦さまがいらしたら、親鸞さまがいらしたら、この世の中をご覧になって我々に何とおっしゃることでしょうね。