称名寺へようこそ

富山県小矢部市 真宗大谷派 称名寺のブログ

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大谷婦人会全国大会in北陸(加筆あり)


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称名寺へようこそ

ブログ訪問ありがとうございます。

 

2022年4月19日 大谷婦人会の全国大会が金沢別院で開催されました。こちらは来年お迎えする親鸞聖人のご誕生850年と、立教開宗800年をお祝いする慶讃法要のお待ち受け大会です。

 

You Tubeより当日の様子をご覧いただけます。

https://youtu.be/W5a1lGynj5s

時間 0:30 開会 音楽法要

            1:40 大谷婦人会の歌

   1:45 大谷婦人会会長挨拶

   1:51 宗務総長挨拶

            2:00 表彰式

   2:30 記念法話

 

称名寺にて大谷婦人会石動支部をお預かりしているため、若坊守も大会のお手伝いに参りました。半年前から、開催できるのかどうか、できるとしたらどのように安全性を保つのかオンライン会議で話し合いを重ねて、開催の日を迎えることができました。

 

大会をご縁にたくさんの方々と再会することができ、実際に人に会うことの喜びを肌で感じました。

理屈ではなく、顔を見るとうれしい、その人の存在に触れるとうれしいものですね。

美しく荘厳された仏前に手を合わせてお勤めすること、皆さんと一緒に法話を聞かせていただくこと、どれもすばらしい時間でした。

 

さて、大会の休憩時間に、藤山寛美さんのお孫さんで俳優の藤山扇治郎さんが舞台挨拶に来られましたよ。(You Tube 2:20~)藤山寛美さんのお孫さんということで、藤山直美さんの甥っ子さんになる方なんだそうです。

 

舞台挨拶というのは、親鸞聖人のお誕生850年、立教開宗800年を記念して、京都の南座で『若き日の親鸞』が上演されるのです。原作は五木寛之さんの『親鸞』(講談社文庫)になります。

 

大谷婦人会では来年2023年4月9日(日)に慶讃法要をお勤めすることになっており、その翌日の4月10日が『若き日の親鸞』公演初日なんです。

つまり、皆さん、来年4月9日は大谷婦人会の法要にお参りして、池田勇諦先生の記念法話をお聞きした後は京都に一晩泊まって、翌日は南座で『若き日の親鸞』を見に来てくださいね、ということなんですね。来年の春のことを想像すると楽しみになってきます!


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さて、話は金沢大会に戻ります。

大会の休憩の合間に版画家 谷内正遠氏の作品紹介があります。谷内正遠氏の版画は素朴であたたかみがあり、北陸では銀行のカレンダーにもなっていたりということで、ご存知の方も多いことかと思われます。谷内氏は石川県の河合谷というところにあるお寺の生まれで(称名寺から車で30分ほどの山間の村です)お母さんのお里が富山の福光にある光徳寺さんであったことから、幼い頃より光徳寺さんに収蔵されている棟方志功の版画や絵画に触れていたそうなんですね。

上記のYou Tubeより、1:15から「慶専寺を訪れて」ギャラリー礫堂の様子と展示の作品、2:12からご家族のお話と木版画をご覧いただけます。

 

ちなみにこちらは谷内さんの版画です。大谷婦人会の月刊誌『花すみれ』2022年5月合表紙より。


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あ、どこかで見たことのある風景‥と思ったら、長野の善光寺さんでした。今年は1年遅れの御開帳ですね。親鸞聖人も「善光寺聖」と名のり、善光寺如来さまを大切にされていました。親鸞聖人のご和讃を最後に記しておきます。

 

  善光寺如来

   われらをあわれみましまして

   なにわのうらにきたります

   御名もしらぬ守屋にて

 

善光寺如来さまは、インドから百済を経て海を渡り、難波の浦(今の大阪の海辺)に流れついたのだという伝説があります。その頃、流行り病で次々と人が倒れ、当時の権力者であった物部守屋は「ほとほりけが難波の浦にやって来たのが病の原因だ」と触れ回ります。その「ほとほりけ(ほとけ)」と呼ばれた如来さまは、本田善光の背中にくっついて長野まで行き、善光の家に安置されることとなるのです。その善光寺の縁起について、後の世に生まれた親鸞さまが、「われわれを助けるために善光寺如来は難波の浦に来てくださったのに、そのことを知らない守屋だった」とおっしゃっているのですが、これは我々もまた、如来が我々を救うためにこしらえてくださった六字の御名「なむあみだぶつ」の願いを知らないものだった、というお気持ちがこめられているとお聞きしています。

 

 

なんまんだぶつ

またお会いしましょう。