前回からの続きになります。
「いつか慶州に行ってみたい」その夢を叶えようと思いたったときには、ファンボ・イム オモニとの出会いから15年ほどの月日が流れていました。
その頃には、オモニのふるさとの景色を一目見てこようということに加え、慶州の国立博物館にある「エミレの鐘」に手を合わせに行きたいという願いも生まれていました。
「エミレの鐘」というのは、昔々の王様の命令によって作られたもので、その鐘には悲しい物語が秘められています。
王の父の菩提を弔うための大きな鐘は、何度作っても上手く仕上がらず、その製作は何年も難航していました。そしてその仕事を成し遂げるために、小さな女の子の命が犠牲になってしまいました。ようやくできたその鐘の音は「エミレーエミレー(お母さん!お母さん!)」と鳴り響いているように人々には聞こえたということから、「エミレの鐘」と呼ばれているのです。
なぜ「エミレの鐘」のことを知っているのかというと、この鐘の由来が『加典兄弟』という説話として語り継がれているからです。この物語を節談説教で聞いた副住職は、自分も語れるようになりたいと思いたち、そうしていつか副住職が語るようになった『加典兄弟』を私も聞くことになったのでした。
初めてこの物語を聞いたとき、私はやりきれない気持ちになりました。なぜ鐘を作るために小さな女の子の命を…という思いになり、このお話をどのように受けとめたらよいのかわからなかったからです。しかし、どのように受けとめたらいいかわからないけれども、母を呼び続ける子どもの声に手を合わせておきたいといつの日か思うようになっていました。いのちの叫び声は私のもとにも届きましたよ、という気持ちになっていったのかもしれません。
ファンボ・イム オモニのふるさとの慶州は、山々に囲まれた丘陵地帯にあり、方々に遺された歴史的建造物と豊かな緑が自然に溶け合う麗しい古都でした。風景が日本の奈良にどこか似ていると思いました。古い仏教のお寺にお参りし、王宮の跡を巡り、国立慶州博物館を訪ねて「エミレの鐘」にも手を合わせました。
訪ねた頃は慶州の春ではなく秋になってしまいましたが、実りの季節もすばらしく、あちらこちらに柿の実が成り、木々は美しく紅葉していました。穀倉地帯の慶州では、たくさんの野菜が栽培されていて、日本のスーパーマーケットでよく目にする韓国産のパプリカは慶州育ちなのだそうです。今でも赤や黄色のパプリカを見るたびに、ふるさとの野山を駆けていく小さな女の子の姿を思います。