称名寺へようこそ。
ブログ訪問ありがとうございます。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、北陸も暖かい日が続き、昨日は素晴らしい青空も見られました。
梅の花が咲き、燕も飛んできて、春の訪れに皆うれしそうです。燕は巣作り、人間は畑仕事に、それぞれの仕事に精を出しています。
満開の梅の花を見ていると、梅は梅の花であることに迷いがないから美しいのだと、しみじみ思います。桜になりたいとか、梅は嫌だということはないのです。日の光を受けて一心に咲いているから美しい。桜も同じ。梅に生まれれば良かった、そんなことを言う桜に会ったことはありません。ただ一心に咲くから美しい。
一心に咲く花に出会うと、人間は一心になれずに迷うから生きることが難しくなるのだと教えられるように思われてきます。
人間は外を見る目と考える力であっちの方がいいとか、得だとか損だとか、比べることに忙しいですね。たとえば洋服を選ぶとき、着ていると心が浮き立つような服を選ぶのか、セールでお得になってるからと流されて選ぶのか、損得に振り回されているうちに、自分の内側に感じるささやかな喜びから遠く離れてしまいそうです。
花のように一心に生きられればいいのですが、人間は考えずには生きられません。考える力があるのに“自分のことがわからない”から、外側のものさしに左右されてしまうのではないでしょうか。そうだとすれば、自分とは何か、何が好きでどんなことに喜びを感じるのか、ひとつひとつ自分を知っていくことが、一心に生きることにつながっているのではないかと思われます。
なむあみだぶつ
また、お会いしましょう。