5月になりました。藤の花のつぼみが膨らみ始めたかと思ったら、あっという間に大きな花を咲かせました。
例年お座に参られた方々と一緒に藤の花を眺めるのですが、今年は一人。なんともさみしいなぁと思っていましたが、写真を撮りに藤棚に近づいてみると花に集まった熊蜂がブンブンと賑かなこと!いつも通り一生懸命に花の蜜を集めていました。
さて、前回と前々回のブログでは熱心にお寺参りをされた方のことをお話ししましたが…
もしかしたら
「わたしはなかなかそうはなれないなぁ…」
「仏法を聞いてもよろこびがおきないなぁ…」
「感動したこともあったけれども、今はなぁ…」
などと思われた方もあったかもしれません。
そう考えたときに、親鸞聖人の弟子の唯円房の言葉を思い出しました。
唯円房は親鸞聖人の教えを人々が好き勝手に受け取っていることを悲しまれて、
「故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留まるところ いささかこれを注(しる)す」
と、記憶の中にある親鸞聖人のお言葉を『歎異抄』という書物を書き残されました。その中に、
「念仏を申しておりますが、踊躍歓喜のこころもおろそかですし、また急いで浄土へまいりたいこころにもならないのです…」
と、自身の心境を親鸞聖人に明かされています。
さてさて、この唯円房の告白に親鸞聖人はどのようにお応えになったのでしょうか。
長くなるので、続きは次回のブログにしますね。