称名寺へようこそ

富山県小矢部市 真宗大谷派 称名寺のブログ

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お寺で読む『星の王子さま』

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庭に咲く芙蓉の花からこぼれた種が、納屋の軒下に運ばれて芽を出しました。すくすく伸びて、葉っぱの様子から芙蓉の木とわかる頃には、3本の若木が並んでいました。建物に近すぎるので「いつか切らなくては…」と思いながらも、やわらかそうな枝はすぐにでも引っこ抜くことができるような気がして後回しにしていました。

ところが、いつかいつかと思っているうちに、あっという間に月日が経ち、やわらかそうな枝は立派な幹になってしまいました。もう自分の力ではどうすることもできなくなった3本の木は、先の方がすぐにも納屋の軒に届きそうです。根っこが建物の下に伸びていったら大変なことになるかもしれない…と、切ってもらうことにしました。

切ってもらおうか迷っているとき、子どもの頃に親しんだ良寛さんの本に、床下から生えてきたたけのこのために床を上げ、さらにのびていくので屋根にも穴を開けたとあり、幼さな心に良寛さんが大好きになったことを思い出しました。こんな大人がたくさんいたら、楽しくてしあわせだろうなぁと思ったのですが、大人になってみるとそういうわけにもいかず、良寛さんはやっぱりすばらしくて、長く愛されるお坊さんだなぁとしみじみ思いました。

芙蓉の木を切ってもらった後に年輪を数えてみると、10年近くはたったものと思われ、うかうかしているとあっという間に5年10年という月日が過ぎていくことを実感しました。そして3つの切り株を眺めながら、だんだん大きくなって手がつけられなくなっていく間に、たびたび『星の王子さま』のバオバブの木のことに思いを巡らせていたことを思い出しました。

フランスの作家サン=テグジュペリの『星の王子さま』には、いくつもの小さな物語がありますが、その一つになまけものがひとり住んでいた星の話があります。まだ小さいからと、バオバブの木を3本放りっぱなしにしておいたら、星いちめんにはびこってしました。小さな星ですから根が貫いて星が壊れてしまっては大変です。王子さまは、


「仕事をあとのばしにしたからといって、さしつかえないこともあるさ。だけどバオバブはほうり出しておくと、きっと、とんださいなんになるんだ」


と、言います。そしてそのことをフランスの子どもたちに伝えようと、3本のバオバブの木でいっぱいになった星の絵を残しました。バオバブの木は本当にアフリカにある木なのですが、大きいものは中を家にして住めるくらいになるそうです。物事は小さいうちに対応しておかなければ大事にいたってしまうことがあると、しみじみ『星の王子さま』のメッセージを味わいました。大切なことは世界共通ですね。


さて、この星を覆い尽くす3本のバオバブの木、私には仏教で言われるところのの三毒、「愚痴」「貪欲」「瞋恚」のようにも思えます。

「愚痴」とは、目の前に起こっていることを現実として受け入れていく智慧の欠けていること

「貪欲」とは、自分の思い通りににしたいと思って物事に関わっていくこと

「瞋恚」とは、思い通りにならないことに対して起こってくる感情のこと。怒り。

ちなみに怠けるということも、仏教では仏さまに対する重い罪なのだとか…

小さな芽だった3本のバオバブの木が、いつの日かなまけものの住んでいる星を壊してしまうということは、若木を放っておいていつか納屋を痛めてしまうことのみならず、仏さまの教えを聞くことなく三毒を盛んにさせて、大切な自分の居場所さえ壊しかねない…そんなふうにも聞こえてきます。あなたの足元は大丈夫?今のあなたを大切にしてね、仏さまも星の王子さまも同じようなことを伝えようとしてくれているのかもしれません。

星の王子さま』には他にもすばらしいエピソードがあるので、またブロクに書いてみたいと思います。