梅雨に入り、久しぶりの恵みの雨に草木がうれしそうに枝葉を伸ばしています。からりとした青空の晴れた日もいいですが、空気がしっとりして、行き交う車の音も静かになる雨の日もまたいいものです。
先日いつもお寺でお聴聞をされている方が訪ねて来られました。しみじみと今こうして生きていることをよろこぶ出来事があったようで、阿弥陀さまにお礼をしたくてお参りされたようでした。
「阿弥陀さまのおかげで生きとるのですよ。自分の力ではとてとても…」
手を合わせた後に、こちらの方にまっすぐ向き直ってそう仰いました。
生きるということについて考えてみると、どうしたら安心して生きられるかと人の顔色を伺ったり、何かを蓄えたり増やそうとしたり、健康にいいものを飲んでみたり…そんなことに忙しくて本当にしたいことも忘れてしまったようになっている、そういったことが私たちの日頃の姿ではないでしょうか。仏さまからすると、それはまったく逆さまになった生き方に見えることでしょう。
仏さまに“お礼とげ”されているお同行の姿を見ていると、今こうして生きていることにありがたいと手を合わせられるということが、本当のよろこびなのではないだろうか…人間は何かが欲しいという欲に振り回されて、それが手に入ればしあわせになれると思って生きているけれど、それで本当に満たされることはあるのだろうか…と感じました。今生きていることに感謝して阿弥陀さまの前に足を運び手を合わせる、とても美しく尊いよろこびの表現であり、生きることそのもののようにも思います。
手を合わせることの他にも、仏さまの徳を讃える言葉を紡ぐこと、徳を讃え歌うこと、花を供えること、食物を供えること…難しいことでは仏像を彫るとか描くということもありますね。そして念仏「ナムアミダブツ」と阿弥陀仏の名前を称えることは、誰にとっても、いつでも、どこでもできることです。
あなたにとって、生きているよろこびを感じることは何ですか?