鳥の囀ずる声が響いて、初夏の青空が美しい昼下がり、いかがお過ごしでしょうか。
新型コロナウィルス感染防止のためのさまざまな制限も緩和され、少し心にもゆとりが生まれてきましたね。
とは言え、まだしばらくお寺の集まりは控えることになりそうです。自粛生活の間、お寺にいつもお参りされる方々のみならず、多くの人々が孤独を感じているのではないか…と、住職はいつも心配していました。私もみなさんどうしておられるだろうか…と案じながらも、きっと今まで聞いた親鸞さまのお言葉を思い出しておられるのではないだろうか、とも考えていました。
なぜそのように考えていたのか、それはお同行の方々と一緒にお聴聞させていただいてきた中で、親鸞さまの遺言とされる『御臨末の御書』のお言葉をみなさんがとてもよろこばれていたからです。手を合わせ頭を垂れる後ろ姿、阿弥陀さまを仰ぎ見る姿、耳で覚えて一緒に口ずさむ姿から、ありがたく受けとめていらっしゃることが伝わってきました。
一人居て喜ばば二人と思うべし
二人居て喜ばば三人と思うべし
その一人は親鸞なり
我なくも
法は尽きまじ
和歌の浦
あをくさ人のあらんかぎりは
『御臨末の御書』
あなたは一人ではないですよ
いつもわたしが一緒にいますよ
わたしがいなくなっても
阿弥陀如来の御法は
お念仏をよろこぶ人のいる限り
尽きることはありません
この呼びかけを親鸞さまの遺言としていただき、さみしいときやつらいときに思い出して、生きていかれた方がたくさんいらっしゃいます。
いつもお寺にお参りされている方々も、今はお寺に集まれなくても、きっとお家で親鸞さまの呼びかけを思い出していることでしょう。
親鸞さまはお念仏の教えをよろこぶ人々を「御同朋・御同行」と大切にされました。阿弥陀さまのお心がぎゅっと込められたお念仏を称える、阿弥陀さまのお心を素直にいただくならば、きっとそこには、ずっと前から親しんでいるとか近頃お念仏に親しみ始めたとかの違いはないと思います。お念仏をすすめる親鸞さまの呼びかけを聞くとき、そしてその言葉に頷いてお念仏を申すときに、いつでも今ここで親鸞さまと出会えるのではないでしょうか。