しばらくぶりのブログです。
寒い日が続いてましたが、お変りないですか?
今日の午後は久しぶりの青空でした。週末に雪の心配がありましたが、今のところ大丈夫なようです。雪になると車を出せなくなったり、歩道も雪に埋もれてしまうので、天気予報を見ながら、数日分の献立を考え買い物に行く習慣があります。
この習慣のおかげか、コロナで外出自粛になったたきに買い物の回数を減らすことが自然にできました。雪国の暮らしは寒くて大変ですが、知らないうちに生きる力を育ててもらったのだなぁと感謝しました。
数年前の大雪のことです。車が出せず、冷蔵庫の食料も底をつきそうになったことがありました。歩いて買い物に行こうかと思いましたが、窓の外は吹雪で真っ白、出掛けるのがためらわれました。そこで家にあるものをもう一度調べ、乾物や保存野菜を組み合わせて食事の支度をしたことがあります。
春になってお寺のお座が始まり、お参りに来られた方から「雪は大変だけど、あるもので料理を作ろうと考えるから知恵もつくし、工夫してみることで新しい発見もあるのよね」と聞いたとき、自分も同じ経験をしていたので、本当にその通りだとなぁ思いました。
雪が降っても大丈夫なように、北陸には冬の保存食がいろいろあります。おいしく栄養がとれるように、ここにも雪国の知恵がつまっています。それぞれの土地に、気候風土に合わせた郷土料理や暮らしの知恵があることでしょう。親鸞さまが伝えてくださった浄土真宗の教えも、それぞれの土地の風土によって育てられてきた味わいがありそうです。
住職、副住職と一緒に富山と岐阜の県境にある五箇山を訪ねたときのことです。
山奥にある合掌造りの里山に、村のお寺がありました。そのお寺も茅葺き屋根で、村の道場といった雰囲気の佇まいでした。
教えを聞く場が大切にされていることを感じた住職が「きっと昔は、雪に閉ざされると家から出ることも出来なかったことだろう。喧嘩になることもあったに違いないが、仏法を聞いて、お互いに助け合って生きていく智恵を授かっていたのではないだろうか…」と言ったことが、記憶に残っています。
お互いに煩悩を持ったもの同士が一つ屋根の下で暮らしていると、ちょっとしたやりとりや言葉の行き違いで腹が立ったり、喧嘩をすることもあるでしょう。しばらくその場を離れていれば気持ちが収まるとしても、雪に閉ざされて出掛けていくこともできず、車のなかった時代は大変だったと思います。
富山の海沿いの旧家に「けんかをしたり、腹を立てたりすることがあったら、また煩悩を盛んにさせて阿弥陀さまを悲しませていることを思い出しなさい」という家訓があったと聞いたことがあります。
雪の多い地方では、雪に閉ざされた期間が長いため、暖房の準備や食糧の確保、そして雪かきなどがあり、家族や地域の人たちと協力していかなければ、生活は成り立っていきません。昔の人々は、腹が立つことがあったときは阿弥陀さまに気持ちを治めてもらいながら、家族や集落の人々とともに助け合って生きていたのではないでしょうか。阿弥陀さまの教えを大切にすることで生活を守っていく、これも雪国の知恵なのかもしれません。