称名寺へようこそ
ブログ訪問ありがとうございます
週末いかがお過ごしでしょうか。
大雨の心配な所もあるようですが、どうぞ無事にありますように。
こちらは今朝も晴れとなり、梅雨時の北陸としては珍しく、青天続きとなっています。
ある人が、雨が降ると「雨が降って畑ができない…」と晴れを望み、晴れの日が続くと「畑に水が欲しい…」と嘆いていました。
それを聞いて「雨が降った日は雨が降ってよかった、晴れた日は晴れてよかった」と思ったらいいのにと感じたのですが、その時ふと蓮如さまのお言葉が過りました。
人のわろき事は よくよくみゆるなり
わがみのわろき事は おぼえざるものなり
人の悪いところはしっかり見えるけれども、自分の悪いところは自覚することができない…それを忘れていたことを思い出しました。そう自分もまた、目の前のことをそのまま受け入れていくことよりも、愚痴を言わずにはいられない身なのでした。
短く心に残る言葉というものは、折に触れて思い出すことができてありがたいものです。
さて、「ありがたい話」をもうひとつ。
副住職はときどき村のお講の法話を頼まれて出かけることがあります。最初の頃は行った先で「ありがたい話やった」と言っていただけると喜んでいたのですが…
九州から北陸にやって来た副住職、ある時気がついたのです。どうも「ありがたい」にいろいろな意味があるようだと。一つめには「よいお話を聞けてありがたいです」ということ。「もったいない」とか「貴い」「めずらしい」などという意味合いもあります。二つめには「気分がよくなって眠ってしまいました」ということ。この地では昼下がりお腹も満たされうとうとしてくるあの感覚を「ありがたぁなる」と言うのです。お風呂に入って「はー極楽極楽」となるのも、「ありがたぁなる」なのです。
話したお坊さんに「ありがとう」を伝えながら、正直に自分のことを語っている「ありがたい話やった」という一言、言葉の意味の奥深さをを知って、またこの地に馴染んで行く副住職なのでした。
なんまんだぶつ
またお会いしましょう