称名寺へようこそ

富山県小矢部市 真宗大谷派 称名寺のブログ

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あなたはどこに立っていますか?

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庭からミンミンゼミの鳴き声が聞こえてきて、梅雨明けも間近なことを感じます。蒸し暑い日が続いていますが、お変りないですか?

全国的に新型コロナウィルスの感染が広がっていて心配ですね。ここ数ヶ月買い物などは市内のお店に限っていましたが、自粛解除になってしばらくしてから、車で20分ほどの所にある大型店へ出かけました。

久しぶりに訪ねてみると、入り口の二重の自動ドアの間は、人と人のすれ違うときの接触を避けるために、入る方向の矢印と出る方向の矢印に分けられていました。店内に向かう矢印の方を歩いて、手にアルコールスプレーをしてから、車にエコバックを忘れたことを思い出しました。

車に戻ろうと方向転換したときのことです。

ちょうどお店に入って来る人とすれ違うことになり、その人がお店から出る方向の矢印の上を歩いていることに目がとまりました。矢印で分けても守るのはなかなか難しいものだなぁと思った瞬間「あ!私が急に方向転換をしたから、ぶつからないように反対側に行かれたのだ!」と気がつきました。

自分の立っているところは間違いない、周りを眺めてあれこれ思っていたら、自分の足元を見てびっくり、そもそも自分の立っているところがおかしかった、見ている眼もおかしかった、そんなことに気づかされた出来事でした。

このときに、大谷専修学院というお坊さんを育てる学校の院長をされていた故竹中智秀先生から教えていただいた親鸞聖人のお言葉を思い出しました。


五濁悪時群生海 応信如来如実言


五濁悪時の「五濁」とは、効濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁という五つの濁りのこと。なかでも見濁はたとえ人を傷つけることがあっても仕方がなかったと正当化する心のことで、その心はまた、誰かが善いことをしてもそれを認められずに否定的に見てしまうという心です。そのような心で生活していると、一緒に生きている身近な人に対して、自分は正しくて相手が悪いという「自是他非」の心で接することになり、相手も自分も傷ついていくと教わりました。

近くにいる人は大切な人なのに、自分は正しいというところに立っていることにも気がつかず、相手が悪くて自分は我慢している、なんて思って傷つけあって苦しんでいる…だからこそ、阿弥陀如来の真実の言葉「念仏して、ともに生きなさい」の呼び声を聞きなさいと親鸞聖人はすすめていらっしゃいます。