称名寺へようこそ

富山県小矢部市 真宗大谷派 称名寺のブログ

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鬼はどこ?実は内に…

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称名寺へようこそ。ブログ訪問ありがとうございます。

今日は立春、いよいよ春!と心浮き立つところですが、

こちら北陸は夕方から雪が降り始め、大きな雷も鳴っていました。

大雪の予報も出ていて、明日の朝、外の景色はどうなっていることでしょう・・・

 

さて、立春の前実、昨日は節分でしたね。

「鬼は外!福は内!」と子どもの頃は豆まきをしたものです。

幼稚園などでは先生が鬼の変装をして、赤鬼の格好をして登場したり。

「あれは園長先生では・・・?」と思いながらも、真剣に鬼退治をしたものです。

 

怖いもの、嫌なものは追い出して、良いことはやって来てほしい

そういう願いは誰しも胸の片隅にあると思われますが、

昨日、新聞の4コマ漫画を見て考えさせられることがありました。

 

1コマ目、節分に豆をまかれ追い出された赤鬼が、

2コマ目、寒空の下震えていると、主人公の女の子が窓を開けて赤鬼を部屋に招き入れ

3コマ目では暖かい部屋で赤鬼と女の子と飼い猫が仲良く笑っていて

4コマ目ではさみしい思いをするものが誰もいなくてよかったとよろこんでいる、

そんな夢を見てぐっすり眠っている女の子の姿が描かれていました。

 

自分にとって都合の悪いものは追い出してしまいたい、

そんな思いは、追い出されて心細くさみしい思いをしているものを

生み出しているのですよね・・・

 

 

「鬼は外!」の鬼はどこにいるのでしょう?

それはどこかの誰かではなく、

実は自分の内にある自分さえ良ければいいという心なのではないでしょうか。

 

そのような恐ろしい心は自分の心から追い出してしまいたくなりますが、

自分の心の一部を自分で追い出すことなんてできないですよね。

漫画の女の子が赤鬼を受け入れたように、自分の悪いところも受け入れられたら、

もしかすると自分自身が一番よろこぶのではないかと思うのです。

 

案外人間というものは、他人のことも自分のことも、

ここが嫌いと冷たく見捨てているのではないでしょうか。

良い自分だけを受け入れて、悪い自分を閉め出しているとしたら

自分の一部が悲しくて泣いてしまいますよね。

だから自分の悪いところ、嫌なところを受け入れられると、

自分自身がまるごとひとつになって、自分自身が一番ホッとするように思います。

 

 

次回のブログは、「鬼はどこ?実は自分のうちに・・・」に

つながってりるなあと感じる昔話、

蓮如上人の「鬼の面 吉崎の嫁脅し」について書きますね。

 

それでは、またお会いしましょう。

なんまんだぶつ ありがとう。